キリスト教系新興宗教

授業終了後、昨晩知り合ったばかりの日本人に誘われて、高架電車パヤータイ駅ちかくにあるキリスト教系新興宗教の集会場となっている民家に立ち寄った。そこにいたのは、普通の主婦、女子大学生、屋台の売り子、売春婦、銀行の窓口係と、まったく関連性が推測できない女性たち5人だった。

この新興宗教(名称不明)については「歌って踊れるキリスト教系」と聞いていたのでハリウッド映画に登場するようなプロテスタント系を想像していたが、実際には聖歌らしきものをタイ独特の珍妙なメロディーに合わせて歌っているだけのアヤシイ集団だった。アーメンと唱えるタイミングでみんなが口をそろえて「エーメン」と発音したときには、日本の冷麺を思い出して吹き出しそうになった。聖歌やミサの途中で突然お経のようなものが始まることもあって、全体的にキリスト教とタイ仏教がミックスされている印象だ。

参加者による今週の奇跡話を聞いたあと、夕食をごちそうになった。タイ語の説法を聞いて集会の趣旨を理解できたのは嬉しかったが、新興宗教独自の価値観をタイ語で理解する作業は苦痛そのものだった。

帰宅後に「キリスト教徒は宗派に関わりなく入信したら収入の1割を寄進しなきゃいけないんだよ?」とエーンが話していた。

―― 自分は仕送りをもらっている身分だから収入なんてないんだけど?

「じゃあ、仕送りの1割は寄進しなきゃね」

その神とやらの手から大切な仕送りを守り抜くために、その教団と関わるのはやめた。

タイ留学1年間の予算は、タイ人公務員22歳俸給の8年分で、その1割となると9.6ヶ月分の俸給に相当する。お布施として5万バーツもの収入を見込めるのだから、今回のように良い待遇を受けられたのも理解できる。リーダー格の女性の説法では「人生は互いに助け合っていくものだ」と繰り返し強調されていたけれど、こんなに経済力に差があっては一方的な資金援助になってしまう。

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バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。