前者は自発的に行い、後者は知らず知らずのうちに共犯者にされかけた。
午前8時、ふたたびタイ・ラオス友好橋の手前にある旅行代理店へ行ったところ教育ビザの発給には3日かかると知らされた。どんな手段を使ってもいいから即日発行してもらえないかと尋ねると、「ウィアングヂャンに2泊すれば済む話じゃないの?」と言われたけれど無理を言って即日発行の手配をしてもらった。旅行代理店は贈賄時の利便性を考慮してウィアングヂャン在住のラオス人を6,000バーツで雇い入れてくれた。
「タイで借りたクルマをラオスで売り払っちゃう人がいるから、パスポートと自動車登録証の名義が一致していないとクルマの出国手続きはしてもらえないのよ」
ラオスの入国手続代行を依頼して(ビザ代込みで2,000バーツ)、旅行代理店の女性従業員が運転する110ccバイクの後ろにまたがってタイ・ラオス友好橋を渡った。今回の旅行第2の目的であるラオスドライブは失敗に終わった。
ラオスはタイ側のノーンカーイに輪をかけて田舎だった。入国審査場でタイ側のエージェントからラオス側のエージェントへ引き継がれ、ボロボロのバンに乗って右側通行のデコボコ道を23キロ西にあるウィアングヂャン目指して走り続けた。
午前9時、ウィアングヂャン中心部のラーンサーング通りにあるタイ大使館領事部に到着して長蛇の列の最後尾に加わった。周囲を見てみると不思議なタイ文字(=ラオス語)の看板を見つけた。
タイ農民銀行
ທະນາຄານກະສິກອນໄທ (ラオス語表記)
ทะ-นา-คาน-กะ-สิ-กอน-ไท (タイ語発音表記)
ธนาคารกสิกรไทย (タイ語表記)
「ウィアングヂャン駐在の領事に即日発行のビザに必要な賄賂は渡してある。受付のカウンターで一応の手続きをする必要があるけれど、この行列ではムリかもしれない。やっぱり明日の朝じゃダメかな?」
ラオス人の贈賄仲介者にはタイ側のエージェントを通じて即日ビザのために必要な費用(6,000バーツ, ビザ発給手数料500バーツを含む)をすでに支払っている。みすみす金をドブに捨てるような真似はできない。
特別な事情を察知したのか、すぐうしろにいたラオス人がいろいろ尋ねてきたけれど、もしここで変なことを話したらすべてが台無しになるかもしれない。そこで逆にラオス人を質問攻めにしてみた。
―― ラオスは5つの国に囲まれている内陸国だが、そのなかで一番好きな国はどこか?
「政治的には、1位がヴェトナム、2位が中国で、3位がタイ。ここのところ中国が急速に追い上げてきているけれど、ラオスの経済は依然ヴェトナムに依存している」
―― タイ資本の金融機関が多いようだが?
「ラオスでは外国資本の銀行も営業できる。ただしタイと違ってATMはない」
―― ウィアングヂャンの中心部はどこか?
「この領事館のあるモーニングマーケットが中心だ」
突如、ラオス人贈賄仲介者が僕の両肩を掴んで領事館の中へ引きずり込んで、1番カウンターの職員と話すように指示してきた。この事態を把握するために周囲を見てみると、長蛇の列をパスするために贈賄仲介者が500バーツで買収したラオス警察の少佐がいた。タイ領事館の女性職員は気乗りしない様子だったが、ラオス警察少佐の署名が追記されているビザ申請書類を突きつけて申請手数料500バーツを支払った。どうやらこの職員は今回の不正について何も聞かされていないらしい。
その後、ラオス人贈賄仲介者に400バーツを支払ってウィアングヂャン観光を依頼したが、この街は本当に何もなくあっという間に終わってしまった。
ウィアングヂャンはタイの地方都市であるノーンカーイ以上ウドーンターニー以下の規模だった。
昼、日本料理店「古都」でビーフカレーを食べた。バンコクにある激マズ日本料理チェーン店Fujiに輪をかけて不味かったけれど、そのくせ料金は倍の175バーツ。店員によると、この店の主要な客はウィアングヂャン駐在の日本大使館員や国際協力事業団(JICA)の日本人職員たちらしい。
午後5時、この何もない都市で時間を潰していたところ、ラオス人贈賄仲介者から悪い知らせが入った。
「大使がいない!!ビザに署名をする大使がいないとビザが発給できないんだ! 大使はいまウィアングヂャン・ワットタイ空港へ今夕帰国するプラテープ王女を見送りに行っている。運が良ければ大使館に戻ってくるかもしれないが空港から大使公邸へ直帰してしまう可能性もある」
ラーンサーング通りにあるタイ大使館領事部の前で途方に暮れていると、すぐちかくに同じく袖の下を渡してビザの発給を待っているタイ人のモンコン君がいた。事情を話したところ、すでにギィさんが向かっているコーンゲンまで送ってもらえることになった。
そうこうしているうちに教育ビザを無事ゲットした。
モンコン君(26歳)はラオスナンバーのRV車SURFを所有していて、きょうはラオス人女性(23歳)のビザを受け取りに来ていたという。父親はバンコクで家具の輸出の仕事をしていて、自分はこれから日本車をラオスで買い付けてタイ国内で販売する仕事を始めると話していた。彼らはまだタイ行きの準備が整っていなかったため、いったん国境付近にあるラオス人女性の家へ向かった。
その家はラオスの家屋としては比較的良いほうでタイ人中流階級並の家財道具もあった。このカップルのほかに双方の父親が住んでいる。夕食をごちそうになって、リビングでタイ7チャンネルを観てモンコン君の父親の帰宅を待ってから荷物運びを手伝った。幅10センチ、長さ25センチ、厚さ3センチぐらいある少し重たい木片をSURFの荷台に詰め込んだ。SURFのリアガラスには山形県警察本部発行の登録自動車保管場所証明が貼られていた。まさか盗難車か?
タイ・ラオス友好橋のラオス側で人間とクルマの出国手続をした。ラオス人もラオスの出国税を支払わなければならないらしい。モンコン君の父親は出国手続きが終わるまでずっと誰かと携帯電話で話していてクルマから一歩も降りることはなかった。
タイ・ラオス友好橋のタイ側で人間とクルマの入国手続をした。モンコン君の父親は入国手続きが終わるまでずっと誰かと携帯電話で話していてクルマから一歩も降りることはなかった。どうやって本人確認をせずに入出国審査を済ませられたんだろう?入出国時ともに車載物検査はなかった。もちろん警察犬もいなかった。
ノーンカーイ県からバンコクへ向かう車中で恐ろしい会話を耳にした。
「短い木片には14錠あります。はい、1錠270バーツです。明日の早朝には海軍大将閣下にご覧に入れます」
電話の内容は単純かつ明快だった。木片に隠してある錠剤といえば工場で精製される向精神薬以外には考えられない。この値段からするときっとスピードだろう。
このクルマは麻薬密輸車だった。
地方の幹線道路には必ず検問があるけれど、彼らは「警察が積荷を検査するはずはない」と鷹をくくっている。しかし万一にも麻薬をこんな大量に輸送しているところを発見されて逮捕されようものなら間違いなく死刑になる。死刑判決が言い渡されるシーンはタイのニュースでよく見かける。使用しただけでも1年の懲役または20,000バーツの罰金は堅い。そんな不名誉な犯罪者としてこんな国で処刑されるのは絶対にイヤだ。
それだけはヤバいと思ってギィさんと待ち合わせをしているコーンゲン市内第2位のホテル「ヂャルーンターニー」で降ろしてもらった。
ホテルの客室でこの話をやや興奮しながらギィさんに話した。エーンにも電話した。しかし誰も驚いた様子を見せない。タイではよくある話なんだろうか。
ホテルのカラオケバーで飲んで暴れて旅の疲れを発散した。ラオス語を見すぎたせいで ม (モーマー)と ນ (ノーノック)の違いが分からなくなってる。