ロサンゼルス到着 タイ人社会の保護下に入る (LA留学生日記より)

こんな憂き目に遭おうとは夢にも思ってはいなかった。語学学校の担当職員を呪うべきなのか、それともタイ語学習の成果に感謝するべきなのか。僕のアメリカ留学は、とても普通とはいえない状況から1歩ずつ前進すること余儀なくされた。

きょうロサンゼルスに到着した。当初の計画から2ヶ月も遅れている。語学学校の日本人担当者が授業料の入金確認を25日間も怠っていたうえ、不備がある I-20 (留学生が留学ビザを申請するのに必要な語学学校が発行する書類)を3回も送ってきたため、留学ビザが下りるまで必要以上の時間を無駄にしてしまった。

きょうの出来事をすべて書いたら何行あっても足りないかもしれないけれど、ロサンゼルス留学の初日だし、いずれも重要な出来事だったから記録に留めておこうと思う。

ロサンゼルス国際空港ではいつものアライバルビザではなく留学ビザを提示して入国審査を受けた。このとき入国審査官に指示されて「第二入国審査カウンター」へ通された。なんでも留学目的の外国人には特別な手続きが必要らしい。

ところが担当係官がずっと席を外していたため入国するまで1時間以上も待たされた。語学学校の職員から指摘されて初めて知ったことだけど、どうやら語学学校から発行された訂正4回目の I-20 にも過去の日付の「入国期限」が記載されているという不備があったようで、もし入国係官がもう少し厳格に審査をしていたら入国を拒否されていた可能性もあったという。まったく I-20 を発行した語学学校の日本人担当職員には怒りを通り越して呆れることしかできない。

語学学校からは入国後の指示がまったくなかったので、とりあえず空港近くにあるレンタカー屋 National Rental a Car で小型車「キャバリエ」を借りた。これからの何ヶ月間かをこの国で過ごすために日本から持ってきた荷物はとてつもない量だった。レンタカーの費用は1日あたり43.5ドルで、内訳はレンタル料金が25ドル、標準損害保険が9.5ドル、免責分保障保険が9ドルだった。受付の職員にクレジットカード情報を渡して2日間の予定でクルマを持ち出した。

右も左も分からないこの土地でクルマを自分で運転するためには地図が必要だった。ノートパソコンを起動して前回のアメリカ旅行で調達した Microsoft Streets & tips で道順を調べてみた。いざ検索しようという段階になって、自分が目指すべき目的地すら知らないこと気づいて愕然とした。仕方なく問題だらけの I-20 に記載されていた語学学校の住所を目的地に設定した。

それにしても走り慣れない街を運転するのは意外と難しい。特に交差点の道路標識が日本やバンコクと違うのには相当悩まされた。あるはずの道が走っても走っても見つからず、見たことも聞いたこともない名前の道が次々と現れる。北へ向かっているつもりで直進していたら、空港の南にある日本人が多く住んでいることで有名なオレンジ郡トーランス市に入ってしまった。

この時点ですでに2時間のロスをしていた。さらに出発地の空港周辺まで戻るのに1時間を費やし、やっとのことで本来乗るべきフリーウェイまで戻ってきた。目的地周辺でフリーウェイを降りてからも周辺の道路を2時間も徘徊し、混雑していなければ30分で着くと言われている道のりを4時間半もかけて移動した。

語学学校に到着したらホストファミリーを紹介してもらって、そこでゆっくり旅の疲れを癒やすつもりだった。

語学学校のドアを開けたときに聞こえてきたのはタイ語だった。

タイ人の留学生とタイ人のアドバイザーが話し合っていた。英語のスピーキングは苦手なので、事務処理を円滑に進めてもらうためにもタイ語で話しかけることにした。

自分のホームステイ先はどこなのか? いつから授業に参加できるのか?

「サワッディークラップ」(タイ語でこんにちはの意)

つづけて、自分が今朝ロサンゼルスに到着したばかりの日本人留学生であること、自分が申し込んでいたロサンゼルス・ダウンタウン校の所在地を知らされていなかったため I-20 に住所が記載されているこのアルハンブラ校へ来たこと。ロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人アドバイザーがいかに役立たずの穀潰しかなどについてタイ語で延々と説明した。そこで重大なことが発覚した。

「それは大変気の毒なことだ。まだ右も左もわからないのに、住所だけを手がかりにはるばる空港からレンタカーでやってきたのか。いまロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人留学生担当者に問い合わせてみたところ、君のホームステイ先はまだ用意できていないと話していた。斡旋業者の休業があと2週間は続くから、ホストファミリーを紹介できるのは早くても2週間後になる」

ロサンゼルス・ダウンタウンの日本人担当者が至急部屋を用意する?

それにはどれぐらいの費用がかかるのか? あの日本人担当者に部屋を正確に手配できるだけの能力が本当にあるのか? そう簡単に部屋が見つかるのか? それに、できることならその日本人担当者の顔は見たくない。挨拶するなり殴りかかってしまうのではないかと心配でならない。

「彼は以前、怒り狂った学生に殴り飛ばされたことがある。その場には俺も居合わせたが、いつのことだったろうか? まあ自業自得なんだが」

相応の報いだ。ザマアミロ。

日本人の留学生アドバイザーには心底失望していたため、このタイ人留学生アドバイザーを頼ってアルハンブラ市の教室で英語のクラスに参加することにした。 ロサンゼルス・ダウンタウンなんて誰が行くもんか。

そして、僕の境遇に同情したタイ人留学生アドバイザーが救いの手を差し伸べてくれた。

「いまタイ人の友人たちと共同生活をしているのだが、もし良かったらホストファミリーが見つかるまでのあいだその家に滞在してみるのはどうだろうか? ロサンゼルス・ダウンタウン校の日本人留学生アドバイザーはすぐに君のアパートを手配すると言っていたが、それでは余計なカネがかかるだろう。君はタイ語が話せるんだ。タイ人に準ずる支援をしてあげようじゃないか」

ことここに至ってはタイ人留学生アドバイザーを頼るしかない。そもそもタイ語が通じれば日本人アドバイザーなんかいなくても不都合なことは何もない。日本人留学生アドバイザーはついに必要なサービスを何ひとつ正確に提供することができなかった。

それからというもの、すべてが順調に運んだ。タイ人アドバイザーの家で共同生活しているタイ人たちを紹介してもらい、みんなでダウンタウンにある日本人村「リトルトーキョー」へ行って日本料理を食べた。

その後、タイへ一時帰国する同居人をみんなで空港まで行って見送りをして、そのついでに、けさ空港で借りたレンタカーを返却した。

午前3時20分。閑静な高級住宅街の一角にある4人のタイ人が共同生活を送っている家のリビングでこの日記を書いている。

あすは語学学校主催のサンフランシスコ旅行ツアーに急遽参加することになった。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。