午前8時、国道4号線の道路脇に駐めたクルマで目を覚ました。
そこはミャンマー国境から数kmしか離れていない山間部の僻村だった。開け放たれた窓から入ってくる朝の空気がオイシイ。外から聞こえてくる音から、バイク以外の交通がほとんどないことが分かる。そして夜明けまで運転していたせいでボンヤリしている頭をハッキリさせようと、運転席の椅子を起こして周囲の風景を眺めてみた。
昨晩は暗くて気付かなかったけれど、案外まともだと思っていた周囲の家々は貧相な掘っ立て小屋だった。道路脇を歩いている村の人々もミャンマーの民族衣装「ロンヂー」(サロング)を履いて裸足のまま土の道を歩いている。そんな僻村で無警戒にも窓を開放したまま寝入ってしまった無謀行為に改めて愕然とした。
過ぎたことを心配しても仕方ない。そのことをすぐに頭から追い払って、この悩ましい山道から一刻も早く脱出するために再びアクセルを踏んで南下を続けることにした。
これといった街に遭遇することもなく、午前10時50分にパンガー県ターヌンとプーゲット県タラーングを結ぶサーラスィンサーラシン橋を横断した。プーゲット島へ入ったところで、ゲッソリした顔をしていた僕たちは県境検問中の警察官に呼び止められ、車内と旅行カバンを調べられた。
バンコクからプーゲット島までの移動にかかった時間は9時間20分だった。当初の予定では10時間だったから、なんとか予定通りに到着したことになる。しかし、その疲労たるや想像をはるかにこえるものだった。復路はスラートターニーを経由する平地を走る国道41号線を使いたい。
ところで、意外なことにプーゲットの観光基盤はパッタヤーと比較するとかなり貧弱だった。観光客に人気があるとされているパートーングビーチも、全長500メートルのバングラ通りに観光客向けの商店があるだけで、それ以外の場所には地元民向けの商店しかなかった。おそらく、ここでは高級ホテルに滞在して、ホテルの施設に期待するのが一番だろう。
もし再びプーゲットに来ることがあったら、今度は2,500バーツ以上のホテルに泊まることにしたい。
はホテル「パートングリゾート」にチェックインして荷物を下ろしてから、徒歩5分のところにある McDonald’s でビッグマックを食べ、すぐホテルに戻って午後10時まで死んだように眠った。
午後11時、パートングビーチの界隈で一番栄えているバングラ通りで夕食をとって、旅の疲れを癒すために Go Go Bar へ行ってビールを飲んだ。そこで働く娼婦に「これだけタイ語が堪能なら売春を斡旋してピンハネすれば絶対いい稼ぎになる」と言われガイドになるように勧められた。なお、この娼婦によると、プーゲットにも日本語学校があるそうで、授業料は週5日(1日1時間)で月々4,000バーツという。