朝、 CKS クメール研究所で、カンボジア遺跡についての講義を受けた。それぞれの時代の彫刻の特徴などについて学んだが、まったく理解できなかった。東南アジア学は考古学に特化した学術分野ではないため、専攻外のクラスメイトたちも同じように退屈しているようで視線が宙を彷徨っていた。
昼、ホテルJuliana Hotel Phnom PenhのレストランVANDAへ行って7ドルのランチビュッフェを食べ、シャワーを浴びるためにホテルに戻ってから、ポルポト時代の粛清と虐殺の歴史を今に物語るトゥール・スレン虐殺博物館を見学した。
この博物館は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党, ポル・ポト派)の支配下にあった政治犯収容所S21を、カンボジアに侵攻してきたベトナム軍が発見して一般公開したもの。中等教育学校の校舎を改装して作られ、クメール・ルージュ党内の反革命分子をはじめ、教員、学生、資本家など約20,000人が収容され、少なくともその99.97%がここで処刑されたという。館内には数多くの拷問器具、大小さまざまな独房、処刑された人々の写真などが展示されている(あまりにも気分が悪いので、館内で撮影した写真はすべて削除した)。
その後、市場「ロシアンマーケット」へ行ってカンボジア語のフォントが入っているCD-ROM(1ドル)、カンボジア語学習用CD-ROM(1ドル)、扇子(1ドル)を購入。ふたたびホテルへ戻って今日3回目となるシャワーを浴びた。主任教官から「夜はCKSクメール研究所の研究員たちとの親睦会があるから、フォーマルで見栄えの良い服を着用するように」と指示を受けた。
親睦会ではビュッフェ形式のディナーを食べ、カンボジアの国産ピール「アンコール」を飲みがらクメール研究所の研究員たちと話を弾ませた・・・・・・と書きたいところだが、研究員たちの英語力が凄まじく低く、ロクに会話にもならなかった。彼女たちはそれぞれ他に職業を持ち、夜間の時間帯を利用して勉強に励んでいるという。そこで「あなたが日本人だと聞いて・・・・・・」といって近づいてきた若くて美しい学生もいたが、僕は肩をすくめて手早く会話を切り上げ、足早にゲートの外に脱出した。食後、カンボジア様式なのかタイ様式なのかも分からないような意味不明なフォークダンスを踊ってホテルへ戻った。
今日は朝のシャワーを含めて、1日に4回ものシャワータイムが用意された。照りつける灼熱の太陽と、未舗装路を走るクルマが巻き上げる砂埃のせいで、シャワーを浴びてスッキリしたいという欲求は常にあったけれど、同時に「どうせシャワーを浴びたところですぐに汚くなってしまうだろう」という諦めの気分もあった。
深夜、CKSクメール研究所の研究員から紹介してもらったディスコ Heart of Darkness にクラスメイトたちと繰り出した。DJの腕は最高にヘボかった。曲と曲とをつなぐときに空白の時間ができてしまうのには正直あきれ果てた。しかし、ここプノンペンでは外国人や娼婦が集まるディスコとして定評があるらしい。そこで偶然「一生プノンペンに住み続ける」という日本人に出会った。なお、ベトナム人クラスメイトによれば、ここの娼婦の相場は20ドル。僕なら特別に15ドルまで負けてくれるという(なぜ聞きに行った!?笑)。
念のためにカンボジア人クラスメートからあった忠告を紹介しておきたい。
「おそらく君はバンコクの事情には精通しているだろうが、ここはバンコクじゃない。まずはその点を確認しておいてくれ。バンコク都内の娼婦もかなりの確率でエイズに感染しているが、プノンペンはその比ではない。娼婦を見たら、まずエイズ患者と思って間違いない」