午前零時、カンボジアのバンテイメンチェイ州ポーイペート郡にあるカジノ街で、砂ぼこりが舞うなかを Golden Crown Casino から Ho Wah Genting Poipet Casino Resorts へ向かって歩いていたところ、3時間10分にもおよんだ2等冷房バスの旅について、友人は次から次へとやってくるバイクタクシーの営業を適当に交わしながら、このように言って振り返っていた。
「ケイイチ」の記事
タイの地方都市でクルマの修理を依頼したら交換部品が模造品だらけだった
午後6時、タイ国道304号のチャチューングサオ・ガビンブリー線を走行中に、ノーングプローング交差点のど真ん中で、1994年に製造された走行距離約24万キロの、友人が所有しているトヨタ・カローラが突然停止した。それ以降、アクセルを連打踏みしてはエンジンを再始動させるのを繰り返してなんとか走り続けていたが、プラーヂンブリー県スィーマハーポー郡タートゥーム町で午後6時10分、とうとうエンジンがかからなくなってしまった。
タイの国立大学、ヂュラーロンゴーン大学の学位授与式
午前8時15分、ヂュラーロンゴーン大学の講堂のステージの前に、合唱部に所属している学部生60人が整列した。タイ人クラスメイトのジャネットが隣で直立不動の姿勢をとって、大学歌「偉大なるヂュラーロンゴーン」と卒業歌の合唱を聞きながら、そのように言って耳打ちをしてきた。
タイの国立大学、ヂュラーロンゴーン大学の卒業生集合写真撮影
午後1時、ヂュラーロンゴーン大学二王像 พระบรมรูปสองราชกาล の裏にある待機所で、ヂュラーロンゴーン大学大学院東南アジア学研究科の修士課程を修了した僕たち5人組は、集合写真を撮影するために学位服をまとい、全身から凄まじい勢いで吹き出してくる汗を拭いながら、別の研究科の卒業生たちとともに撮影の順番が回ってくるのを待っていた。
ナコーンナーヨック県自然探訪の旅
タイ政府観光庁の職員によると、バンコクの北東112キロのところにあるナコーンナーヨックには、県内にふたつの観光名所があるという。ひとつは、タイ国道305号ラングスィット・オンカラック線の沿道にあるプラヂュンラヂョームグラーオ陸軍士官学校に併設されている射撃場とアスレチックコース。もうひとつは、ワングタクライの滝とクローングターダーン・ダム。このとき小雨が降っていたため、クルマのなかからでも楽しめる滝とダムへ向かうことにした。
タイの国立大学、ヂュラーロンゴーン大学学位下賜式の第2回予行演習
午前9時20分、ヂュラーロンゴーン大学の講堂では、学位下賜式(学位授与式)の2回目の予行演習が行なわれていた。隣の席に座っているクラスメイトは、そのように言って、1回目の予行演習に参加しなかった僕にアドバイスをくれた。この予行演習は、国王の代理人であるプラテープ王女から学位記の下賜を受けるすべての卒業生に参加が義務づけられているもので、2回ある予行練習のうち最低でも1回は参加しておかないと本番の参加資格を失う。
バンコク留学最終日 (本帰国当日)
午前6時35分、ユナイテッド航空 UA852 便の離陸予定時刻まであと15分にまで迫っていた。バンコク・ドーンムアング国際空港の出国審査場で、ユナイテッド航空の地上要員たちは次第に苛立ちの度合いを強めていった。そんな彼らに急かされ、友人と短い別れの挨拶を交わして、地上要員達とともに出国審査場へ向かった。予想よりあっけない幕切れだったが、それでも涙ながらの感傷的な別れをすることを考えればよほどマシだ。
タイ・バンコクでの留学生活を振り返って
その Millennium Hilton でバンコク留学の最後の夜を過ごすことにした。タイの歴史における主要な舞台ともなったヂャーオプラヤー川の水辺に建っているホテルから、ワットプラゲーオ(エメラルド寺院)などの歴史的建造物や、トンブリー朝開闢以来239年の歴史を刻んできたバンコク旧市街の景色を一望することができる。そして、ホテルの向かいにある船着場から友人と遊覧船に乗って、ヂャーオプラヤー川を北上しながら、きょうまでの約4年半におよんだバンコク留学生活について振り返ってみたい。
タイの分譲賃貸の集合住宅(コンドミニアム)から退去した
午前11時半、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室は、足の踏み場すらないようなありさまだった。日本へ持って帰る荷物を少しでも減らしておこうと、備え付けの引き出しやクローゼットのなかから比較的重要度が低い私物を取り出して片っ端から黒いゴミ袋へ放り込んでいったところ、ゴミ袋の数は全部で12個にもなった。
タイの中古車屋にマイカーを売却する その2
正午前、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室では、バンコク各地にある中古車屋から引っ切りなしにかかってくる値段交渉の電話対応に友人が追われていた。売却当日のきょうになって、僕の愛車だった BMW 318i の買取価格は緩やかではあったが、それでも着実に高騰していった。けさイチバンの電話は、プララームソーング通りにある中古車屋からのものだった。
大学院修士課程の修了認定試験の追試験を受けてきた
午後12時10分、ヂュラーロンゴーン大学の文学部4号館の前は、すでに学部が3ヶ月間の夏期休暇に入っていたため、ひっそりと静まりかえっていた。今回の再試験の真相を知った友人は、電話口でそう言って過日の僕のお気楽さを責めた。確かに、傍目には少しお気楽すぎるように映っていたかもしれない。
タイの中古車屋にマイカーを売却する その1
僕のクルマは、タイの国内でフォルクスワーゲン社などから委託を受けて自動車を生産しているタイ資本のヨンタギット社が、1994年にドイツの BMW 社から部品の供給を受けて組み立てた12年落ちの BMW 318i で、現在の走行距離は122,000キロ。いまから2年半前の2003年10月に62万バーツを出して購入したもので、当時の走行距離は89,000キロだった。
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