夜、スクンウィット27街路にある日本料理店 SAMURAI へ行って友人と酒を飲んでいたところ、店に置いてあったバンコク発行のミニコミ誌に、某料理店経営者の苦言として冒頭にあるような文言が掲載されていた。
CATEGORY 微笑みの国タイと厳しい現実
タイ人のビーチボーイと日本人の女性観光客
正午、ヂュラーロンゴーン6街路にあるスックスィットニウェート国際学生寮前の食堂で、クラスメイトたちと昼食をとっていたところ、プーゲット県にあるソンクラーナカリン大学の観光経営学部を卒業したクラスメイトが、日本人の女性の価値観に関する話題を振ってきた。
犬には犬のエサ 猫には猫のエサを
バンコクには、娼婦にハマった結果、日本国旅券以外のすべてのものを放棄して、どん底の貧しい生活を強いられている日本人がそれこそウジャウジャといる。「タイ沈没の悲劇を目の当たりにする」では、彼らを「カミツキ犬」と表現したが、それなら Go Go Bar で働いている娼婦たちは、さしずめカミツキ犬たちが大好きなドッグフードといったところだろうか。
歩道とエロ本と海外旅行 (タイ人との香港旅行1日目)
香港・彌敦道にある地下鉄佐敦站の前で、香港に到着してから友人がはじめて観光旅行らしい感想を口にした。たしかに、バンコクの主要道路とは違って、彌敦道の歩道は広くて段差も少ない。自分の足元に注意を払わなくても安心して歩くことができる歩道が、タイ人の目に新鮮なものとして映ったとしても決して不思議ではない。
タイにおける不平等な被選挙権
タイの憲法は、中流以下のタイ人にとって不平等だ、という説がある。107条と123条で、大卒未満の国民に被選挙権(立候補する権利)を認めていないのが、その根拠とされている。つまり、タイでは「支配階級」と「被支配階級」との関係が憲法に明文化されている、ということになる。
フツウとはいったい何なのか
タイという階級社会において、相対的な価値基準である「フツウ」という概念は、話し手の環境によって、どのようにでも変化するものだ。この友人はラーチャパット大以下の学生を失格としているが、ヂュラーロンゴーン大学の一部の学生たちのあいだでは「ヂュラー以外はムリ」といった声もあるし、私立大学の一部の学生たちは「自分もフツウの範疇に入っている」としながらも、大卒未満の人々を平然と見下している。
バンコクの中産階級的な視点から見た性風俗
バンコク人の女性は、娼婦を自分の身分を脅かすような存在とは考えていない。同様に、バンコク人の男性にとっても、娼婦は性の対象ではあっても、恋愛の対象という意識はない。なかには、「娼婦はヒトにあらず」との声もあるが、さすがにこれを声を大にして言うのはちょっと難しい。
階級社会に生きる その3 クラブシーンの社会学
パブにおける世界観は、旧来の RCA とはまったく異なる思想にもとづいて形成されている。そのため、最新の欧米文化を現在のタイ社会に適合するかたちで選択的に導入されているタイのパブには、旧 RCA の時代にはなかったさまざまなルールがある。従来と同じような感覚で振る舞ってしまうと赤っ恥をかくことになるだろう。
階級社会に生きる その2 ナンパの社会学
階級社会における物事の本質は、ナンパという行為がもつ意味合いひとつをとっても、日本人的な感覚から著しくかけ離れている。「タイのナンパは階級社会的」と言いうこともできる。文化研究の理論をタイにおけるパブに適用して各論的に分析することにも意味はあるのかもしれないが、その前に物事の本質を見極めるための社会学の基本はきちんと押さえておきたい。
タイにおける現役女子大生による援助交際
戦勝記念塔ロータリー周辺の歩道や商店は、どこもトゥラギットバンディット大学の制服を着ている学生たちで埋め尽くされていた。そんな風景を、渋滞にハマって立ち往生しているクルマのなかから眺めていると、助手席に座っていた学生がいきなりとんでもなくシュールなジョークをぶっ放したので、思わず吹き出してしまった。
【素人タイ人女性】シロウトとはいったい何のことか?
深夜、ヂャーオプラヤー川の東岸と西岸を結ぶバンコクにおける陸上交通の要衝、サナームルワングを日本人の友人と散策していたところ、突然、白地に桃色の模様がプリントされているパジャマを身に纏っている2人組の色白で小柄な女の子が声をかけてきた。日本人的な感覚からすると中学生のようにも見えるが、髪型から高校生であることはすぐにわかった。
娼婦に例外はあるか その3
ファーストちゃんは、スィーパトゥム大学経営学部の2年生で21歳。タイ北部パヤオ県の出身で、両親はグワイッティアオ屋を営んでいる。高校卒業後にグルングテープ大学へ進んだが、成績不良のためラングスィット大学へ移り、そこでも授業について行けなくて、いま通っているスィーパトゥム大学に流れ着いた。
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