午後10時、バンコク都ラートプラーオにある高級住宅街の、日本円にして1億円の価値があるとされている邸宅の、照明がキレイなプールサイドで、白ワインを片手に巨大なエビを友人たちと美味しくいただいてから、女性や子供たちが帰るタイミングを見計らって自分も脱出しよう企てていたところ、脱出時に家主に見つかって引き留められてしまった。
キャバレー Caribbean Musical Theatre

午後10時、バンコク都ラートプラーオにある高級住宅街の、日本円にして1億円の価値があるとされている邸宅の、照明がキレイなプールサイドで、白ワインを片手に巨大なエビを友人たちと美味しくいただいてから、女性や子供たちが帰るタイミングを見計らって自分も脱出しよう企てていたところ、脱出時に家主に見つかって引き留められてしまった。
午前零時20分、タニヤ通りにある日本人向けのカラオケスナック Alpha で、2002年の語学留学時代によく顔を出していたときと同じソファーに座って、当時のホステスと思い出話に花を咲かせた。あれから、オーナーが代わり、店の名前も変わったが、内装だけは当時のまま手が加えられていなかった。
DJ としては、店内の音楽を中断するわけにいかないため、勝手に選曲してつぎつぎと客に歌わせるようになった。リクエストを出す側と受ける側の立場が完全に逆転した。こうして、 DJ 主催のタイ映画「ワイオンラウォン4」(2番席)挿入歌 VS タイ映画「フェーンチャン」挿入歌(8番席)の戦いが始まった。
「やめておきなさいよ。 Hollywood といえば、 Dance Fever に輪をかけたようなバンコク最強の『イーサーン館』なんだから。どこの馬の骨とも分からないような黒くて醜いダンサーたちの群れが、こ~~んなカンジ…
午後10時半ごろ、ソングプラーング街路のミーチャイマンション1階にあるホストクラブへ、日本人の友人ふたりと出かけた。薄暗い店内では時代遅れの古臭いディスコミュージックが流れていた。水色のタキシードを着ている男に耳打ちをされて振り向いてみると、赤いソファーに座っている20人前後のホストたちが強烈なスポットライトを浴びていた。
タイの娯楽施設は、サービス施設法(1966年)と革命評議会布告294号(1972年)によって、午前2時の閉店が義務付けられている。プララームガーオ通りの歩道はプララームガーオ8街路 (Royal City Avenue) の界隈にあるパブの閉店とともに若者たちで溢れかえり、片側3車線のうち2車線を占領して客待ちをしているタクシーへ次々と乗り込んでいく。
午後8時、トーングロー10街路にあるパブ Booze へ、大学の友人たちと酒を飲みに行った。タイのパブでチケット制をとっているところはほとんどないが、今晩は人気バンドの Bodyslam によるライブが予定されており、ライブだけを見て帰ろうとする客にもカネを使わせるため、店の入口で300バーツ分のドリンク券を買わないと入れないようになっていた。
タイ人の上流階級にとってのオシャレとは、ホステスという「お花」が飾られている店で、優雅にウイスキーグラスを傾けながら語り合うことにあるから、ホステスと戯れること自体はまったく重視されていない。おそらく、夜の街に求めているもの自体が、日本人とタイ人では違うんだろう。
夜、ラッチャダーピセーク4街路にあるパブ Rad で、きょう一曲目のタイ語曲「余計なもの」が演奏されはじめると、チェートの目がギラリと光り、それから目から光が消えて放心状態となった。そして歌詞がサビの部分に入ると、いきなり気が触れたかのように大声で歌いだした。
スィーロム通りにある珈琲屋へ行って友人たちと話し合っていたところ、知り合ったばかりの友人から「ミーチャイマンションにホストクラブがあるらしい」という情報を聞きつけた。そこで、ソングプラーン街路にあるアパート「ミーチャイマンション」へ友人の日本人男性と出かけた。
Route 66 に到着したときには、すでに店内は満席となっており、人々が店の外にまで溢れ出してきていた。そこで、とりあえず、店の入口のすぐ近くにある屋外のテーブルに陣取って、そこでアルコールを充填し、テンションをあげてから店内へ流れ込むという計画を友人たちと立てた。
夜、スクンウィット23街路にある Narcissus Club で、バンコクに遊びに来ているロサンゼルス留学時代の友人が言った。よくよく観察してみると、確かに変わっている。農村部の出身者が多いこの店だけを見て結論を出すわけにはいかないが、明らかに腕の肘から先の動きがタイ東北部のモーラムダンスの影響を強く受けている。
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