CATEGORY バンコク生活

バンコクのホストクラブに潜入してみた

午後10時半ごろ、ソングプラーング街路のミーチャイマンション1階にあるホストクラブへ、日本人の友人ふたりと出かけた。薄暗い店内では時代遅れの古臭いディスコミュージックが流れていた。水色のタキシードを着ている男に耳打ちをされて振り向いてみると、赤いソファーに座っている20人前後のホストたちが強烈なスポットライトを浴びていた。

日本語を流暢に話す自動車整備工

昼前、ヂュラーロンゴーン9街路にある自動車整備工場へ行ったところ、自動車整備工がクルマの状態について日本語で説明してくれた。発音は JEES 日本語能力試験1級に合格している日本語学科の学部生たちよりはるかにキレイだし、文法的に不自然なところもまったくなかった。しかも、普通の日本人には分からないような自動車の専門用語を立て続けに繰り出してきたものだから面食らった。

深夜に客を選ぶタクシー

タイの娯楽施設は、サービス施設法(1966年)と革命評議会布告294号(1972年)によって、午前2時の閉店が義務付けられている。プララームガーオ通りの歩道はプララームガーオ8街路 (Royal City Avenue) の界隈にあるパブの閉店とともに若者たちで溢れかえり、片側3車線のうち2車線を占領して客待ちをしているタクシーへ次々と乗り込んでいく。

タイでエイズと性感染症の検査を受けてみた

ここのところ、喉に妙な違和感がある。先日、とある友人の日本人が性感染症を治療したところ、喉の違和感もなくなって快適に過ごせるようになったと話していたから、もしかしたら自分も感染症に罹っているのではないかと思い、念のために私立セントルイス病院へ行って、血液検査を受けてみることにした。

タイの地方における拳銃事情

チョンブリー県ムアングチョンブリー(人口193,736)の市街地をクルマで走行中、高速自動車国道7号線(モーターウェイ)を走っていたときに前方のドイツ車を時速140キロで煽り続けたことについて、友人たちが藪から棒に忠告をしてきた。

タイ生産の台湾市場向け輸出用即席麺

昼すぎ、それまでずっとペーパー作業に没頭しており、食事をとる暇もなかったため、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite のロビー階に入っている売店へ即席麺を買いに行った。しかし、タイで販売されている即席麺(7バーツ)は、どれも具の量が少なくて味気ない。そこで、今回は、タイの国内で生産されている台湾市場向けの輸出用即席麺(40バーツ)を手に取ってみることにした。

ファッションとしての牛乳「モン生乳店」

午後10時すぎ、バンコク都庁前のディンソー通りにある牛乳屋「モン生乳店」へ友人と出かけた。ファーストフード店のような明るい雰囲気で、ウワサに違わず美味しかった。日中には店の前に長蛇の列ができるという。

タイのバンド Bodyslam のコンサートを見に行く

午後8時、トーングロー10街路にあるパブ Booze へ、大学の友人たちと酒を飲みに行った。タイのパブでチケット制をとっているところはほとんどないが、今晩は人気バンドの Bodyslam によるライブが予定されており、ライブだけを見て帰ろうとする客にもカネを使わせるため、店の入口で300バーツ分のドリンク券を買わないと入れないようになっていた。

海鮮料理「ソンブーンポーチャナー」バンタットーング本店

バンコクでもっとも有名なプーパットポングガリー(蟹のカレー味炒め)といえば、美食家たちはこのソンブーンポーチャナーの名前を真っ先に挙げるだろう。この店は30年以上の歴史を持ち、バンコクの都内に4つの店舗を展開している。バンコク在住の日本人たちのあいだではスラウォング店が特に知られているが、本店はヂュラーロンゴーン大学裏のヂュラーロンゴーン8街路にある。

サミティウェート病院

スクンウィット49街路にあるスクンウィット・サミティウェート病院は、数多くの専門医を揃えており、バンコクの日本人社会ではグルングテープ病院やバムルングラート病院とならぶバンコク随一の高級私立病院して知られている。1979年に設立され、1999年にはタイ保健省、ユニセフ、世界保健機関から「母子保険病院」の指定を受けた。

クーポン食堂のカーオカームー

ここ2週間ほど、タイ料理「カーオカームー」にハマっている。牛か豚かという違いはあるが、つゆだくご飯の上に肉が乗っているところが牛丼っぽくて親しみを感じる。それに、注文してから1分もかからずに出てくるので、手早く昼食がとれるのもウレシイ。

タイにおける企業の設立と乗っ取り

この日本人向けの居酒屋は、いまからおよそ4年前に営業を開始した。ところが経営方針をめぐって日本人の出資者とタイ人の出資者のあいだに対立が生じて、最終的に日本人の出資者が店の経営から排除される結果に終わったという。だが、事の真相については、日本人の出資者からも話を聞いてみるまでは判断できない。