NOKIA製の携帯電話は、タイ語環境における操作性能が他社を圧倒していたため、これまでタイ人たちからの絶大な支持を得てきた。ところが、この数年で他社製の携帯電話もタイ語に対応して、使い勝手が良くなってきたため、 NOKIA はタイにおけるシェアを徐々に落としている。
CATEGORY バンコク生活
ウォングウィアングヤイ探検
ウォングウィアンヤイは、プラチャーティベーク通りとラートヤー通りが交わるロータリーで、日中は都心部と西部のトンブリー地区を結ぶ交通の要衝として賑わっている。ロータリーの中央部には、円形の小さな公園があって、トンブリー朝を興したタークスィン王(1734-1782)の像が建っている。ところが、午前零時をまわると、交通量もまばらになり、まるで廃墟のような怪しさを帯びてくる。
レストラン&カラオケ「ヂャンパー」
夜、ラートプラーオ73街路にあるレストラン「ヂャンパー」へ行って、友人たちと夕食をとった。アコースギターによる生演奏と最新タイポップスの生ボーカルを聴きながら、屋外にあるプールサイドで夕食を楽しむのも風情があってなかなか良かったが、友人たちはボーカルの技量に対して不満をあらわにしていた。
緑茶を語る
午後5時、高架電車のオーンヌット駅前にある大型スーパー Tesco Lotus の前で、9ヶ月ぶりに会う友人と待ち合わせ、そこからパッタナーガーン9街路にあるムーガタ屋(焼き豚を格安で好きなだけ食べられる店)3 Nor へ行って、午前零時まで緑茶メーカーの営業部長とウイスキーを飲みながら、日本料理について激論を戦わせた。
バンコクのパブでフツウに振る舞う
今月の日記に繰り返し書いていることだが、近年登場したばかりのパブを、旧 RCA 系のディスコと同一視してしまうのは、あまりにもヤバすぎる。そこで今回は、バンコクのクラブシーンにおけるスタイルの変容について、音楽の流行の変遷をたどりながら考えてみたい。
ラオスの山道でエンジントラブル発生
きのう、カジノホテルへ行くにあたって、ターポックという小さな集落へ行ったところで、村人から方向が間違っていると指摘されて引き返した。そこで今日は、ラオス人のクラスメイトに電話をかけて道を尋ね、ふたたびカジノホテルを目指してラオスの田舎道をドライブすることにした。
ラオスまでのドライブ
午後11時、生活物資の調達を終えてノーンカーイ国境に到着した。出国ゲートの4番窓口で代筆屋に依頼して自家用車の持ち出しに必要な書類を整えてもらい(100バーツ)、5番窓口で自家用車の出国許可をもらい、6番窓口で出国審査を受けた。タイを出国するときにクルマに積んである荷物は調べられなかった。
パブにおける雰囲気を維持するための集客活動
娯楽施設における流行のサイクルは極めて短いため、店の命運は客層の変化によって大きく左右される。流行の牽引役とされているのは現役の大学生たちで、大学生たちは流行の最先端を行っている「イケてる」店へ足を運ぶ。大学生の客が定着してくると、その店の評判が口コミで知れ渡り、次第にバンコク中の老若男女たちが集結するようになる。
バンコク都医務局附属中央病院
公務員の家族はタダ同然で延命治療が受けられるという。バンコク都医務局附属中央病院(グラーング病院)は、ポームプラーイ区の下町に古くからある近代的な総合病院で、ベッド数は404床。ここでは、医師94人、看護師413人、歯科医8人、薬剤師9人が働いている。
バンコクにおける農村部出身者向けディスコ
ホテルを除く、バンコクにおけるサービス産業全般について言えることだが、外国人の客が多い店はイケてない。タイ東北部の田舎祭り「モーラム」をアレンジしたかのような雰囲気を演出しているため、ラッチャダーピセーク通り一帯で働いているソープ嬢たちの行きつけの店となっている。
タイ人向けの「心のパブ」
ナンパをするためにパブへ遊びに行くのなら、不特定多数の男女が入り混じっている都市部の大箱のほうが良いかもしれないが、今晩は男女のふたり組で行動していたため、ナンパをする必要はなかったし、聞いても分からないような洋楽ばかりで面白くなかった。
バンコク郊外にあるドイツ風のオシャレな料理店
夜、バンコク都タウィーワッタナーのウッタヤーン通りにあるドイツ風の屋外料理店「バーンナームキアングディン」へ行って、友人たちと音楽を聴きながら夕食をとった。チキンやトムヤムなどを注文し、料金は4人で1,000バーツ弱だった。まるで外国にいるかのような雰囲気の店で、なかなか良い気分転換になった。
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