いつもより少し早く起きて、何も考えずにホテルにある食堂でアメリカ風の朝食とっていると、目の前に建っている金色に輝く小さいながらも重々しい雰囲気を放っている仏教寺院に目がとまった。窓際にある隣の客席に目をやると、子猫が気持ちよさそうに寝入っていた。
CATEGORY タイ北部
チアングマイ・ターペー門
昼過ぎ、市場の南にあるホテル「ターペープレイス」にチェックインして荷物を室内に放り出して、旅行誌等で有名なターペー門外をひととおり見て回ることにした。そこには、外国人向けのゲストハウスのほか、Go Go Bar やバービアなどが密集しているが、いずれも極めて貧弱で、なぜこの一帯がこれほど有名になったのか不思議でならない。
サンガンペーング温泉 その2
サンガンペーング温泉は、エーンと付き合っていた2年前からほとんど変わっていなかった。それでもバンガローにエアコンが取り付けられるなどして宿泊料金が100バーツ値上げされ、一泊600バーツになっていた。この1ヶ月間のペーパー作業で蓄積された疲労を一気に解消させてようと、熱い温泉につかってはベッドに潜ってぐっすり寝るということを何度も繰り返した。
タイ大学めぐり その7
バンコク出身のタイ人クラスメイトは、チアングマイ国際空港のターミナルビル前でスィーローの運転手に行き先を告げたあとに、そのように話していた。東北部の方言ほど声調に違和感はないが、それでも北部方言には固有の単語や独特の言い回しがあるため、会話の中で鍵となる単語が聞き取れずに返事に困ることもしばしばあった。
古都スコータイ
午前5時に起きて、スコータイ王宮の跡地に建設されたスコータイ歴史公園をはじめ、王都が完成するまであいだ一時的に都がおかれたスィーサッチャナーライにある歴史公園や宮殿跡、寺院跡などを見て回った。
ガンペーングペット遺跡
午前中の講座「東南アジア文明論」でタイの北部へ行った。今回の目的はタイの文化のルーツとされているガンペーングペット県、スコータイ県、ピッサヌローク県にある遺跡の見て回ることだった。ヂュラーロンゴーン大学文学部の正門前にまだ太陽が昇っていない午前6時に集合した。現地では肌を焦がすような強烈な日差しのもと、日陰になっている部分を探しては、遺跡の名称、年代、建築様式、影響を受けた周辺の文明、歴史的な背景などについてノートに書き連ねていった。
対不法就労者防衛線
外国人による不法就労については、どの国も手を焼いているようだ。特に最貧国のラオス、カンボジア、ミャンマーの3国と陸続きで隣接しているタイでは日本より深刻な問題として受け止められている。不法労働者は、都市部では経済的に恵まれている市民の邸宅で使用人として働くか性風俗産業に従事し、地方では小作農として働いているケースが多い。
タイ人農民より豊かなカレン族難民
生活インフラをコスト重視で整備するなら、適当な木材を支柱にして、それをトタンで囲めば十分だけど、援助国の納税者たちの夢を壊さないように配慮しているのか、極力工業製品を使わないような工夫がされており、住居をはじめ各種施設はどれも木材を贅沢に使った山小屋のような建築物だった。
メーラ村「臨時居住区」
ミャンマーからのカレン族難民が収容されている「カレン族臨時居住区」は、タイのターク県ターソーングヤーング郡メーラ村第9集落にある。タイ政府はカレン族越境者を難民と認めない立場をとっているため、 難民キャンプではなく臨時居住区と呼ばれており、管理はタイ内務省、運営は各国のNGO団体が担っている。
不法越境のミャンマー人
ヂュラーロンゴーン大学文学部前で東南アジア研究科のクラスメイトたちと待ち合わせ、研究室がチャーターしたロットゥーに乗って、難民キャンプの調査のためにターク県メーソート郡にあるメーラ村へ向かった。ミャンマーの少数民族「カレン族」は、強制移住や強制労働などの厳しい弾圧の対象となり、難民化してタイ側へ大量に流れ込んだ。
タイ北部旅行最終日
特急「スプリンター号」で提供された軽食は往路と同じだった。午後のおやつを断って寝ているうちにバンコクへ到着した。タイ国鉄ドーンムアング駅停車時に空港のオレンジ色の照明が見えて、なぜかバンコクの Go Go Bar を思い出して郷愁を感じた。タイ国鉄マッガサン駅からタクシーでペッブリー18小街路にあるアパートへ戻った。
つぎはパヤオ!
タイの幹線道路は日本と比較しても遜色ないほど整備が行き届いている。メーオ族(少数山岳民族)の集落を通りかかったときには集落より道路のほうが豪華に見えた。パヤオ市中心部にあるグワーンパヤオ湖の畔を散策して、観光客向けのタイ料理屋でアメリカ風炒飯を食べてからチアングマイへ引き返した。
最近のコメント