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セーンスック寺の地獄絵巻

バーングセーンの海岸から1キロほど離れたところにルワングポーネーンノーイ財団が建立したというセーンスック寺は、そのなかでもとりわけ印象的だった。境内には地獄と天国の区画が設けられていて、人々に自省を促すための巨大像が立ち並んでいる。

労働者博物館

タイにおける労働社会は、封建制度のもとに築かれたサックディナー制(11月2日付日記参照)の上に成り立っている。このサックディナー制による影響については、タイの労働論のみならず、タイに関するすべてのことを語るうえで絶対に避けては通れない。

シーコンスクウェア裏のパブ街

夜、スィーナカリン通りにある大型ショッピングモール「スィーコンスクウェア」裏のパブへ友人と出かけた。郊外では、ショッピングモールが近隣の大学へ通っている若者たちのたまり場となっており、その周辺に若者向けの街が形成されている。

タイ大学めぐり その8

いつもより少し早く起きて、何も考えずにホテルにある食堂でアメリカ風の朝食とっていると、目の前に建っている金色に輝く小さいながらも重々しい雰囲気を放っている仏教寺院に目がとまった。窓際にある隣の客席に目をやると、子猫が気持ちよさそうに寝入っていた。

チアングマイ・ターペー門

昼過ぎ、市場の南にあるホテル「ターペープレイス」にチェックインして荷物を室内に放り出して、旅行誌等で有名なターペー門外をひととおり見て回ることにした。そこには、外国人向けのゲストハウスのほか、Go Go Bar やバービアなどが密集しているが、いずれも極めて貧弱で、なぜこの一帯がこれほど有名になったのか不思議でならない。

サンガンペーング温泉 その2

サンガンペーング温泉は、エーンと付き合っていた2年前からほとんど変わっていなかった。それでもバンガローにエアコンが取り付けられるなどして宿泊料金が100バーツ値上げされ、一泊600バーツになっていた。この1ヶ月間のペーパー作業で蓄積された疲労を一気に解消させてようと、熱い温泉につかってはベッドに潜ってぐっすり寝るということを何度も繰り返した。

タイ大学めぐり その7

バンコク出身のタイ人クラスメイトは、チアングマイ国際空港のターミナルビル前でスィーローの運転手に行き先を告げたあとに、そのように話していた。東北部の方言ほど声調に違和感はないが、それでも北部方言には固有の単語や独特の言い回しがあるため、会話の中で鍵となる単語が聞き取れずに返事に困ることもしばしばあった。

スィラパーゴーン大学美術館

きょうはタイ研究科の講座「タイ史博物館論」に出席して、スィンラパーゴーン大学の考古学部副学部長の案内で、同大学のタープラ宮殿校舎附属美術館を見学した。が、僕は自習仲間たちとクラスメイトたちの一団から脱出して、同大学の中央図書館で文献を収集し、提出期限が間近に迫っているタームペーパーを書いた。

プッタモントン 仏教博物館

プッタモントンは西暦の1957年(仏教暦2500年)、プッタガーンの半分が経過したことを記念してナコーンパトム県に造営された仏教公園で、陸軍元帥ピブーン・ソンクラーム政権期の1955年に造営事業が始まった。2,500ライ(約4平方キロメートル)の敷地には、仏教会議所、仏教博物館、石碑展示場などを備えている。

クックリット・プラーモート元首相邸

バンコク都内の南サートーン町プラピニット通り19番地にあるモムラーチャウォング・クックリット・プラーモート邸(1970年完成)は敷地面積約5ライ(2424坪)の立派な邸宅だった。純タイ様式の母屋とタイの古典舞踊ラーマギアンを演じるためのステージが、氏の文化人らしい嗜好を色濃く反映している。

古都スコータイ

午前5時に起きて、スコータイ王宮の跡地に建設されたスコータイ歴史公園をはじめ、王都が完成するまであいだ一時的に都がおかれたスィーサッチャナーライにある歴史公園や宮殿跡、寺院跡などを見て回った。

ガンペーングペット遺跡

午前中の講座「東南アジア文明論」でタイの北部へ行った。今回の目的はタイの文化のルーツとされているガンペーングペット県、スコータイ県、ピッサヌローク県にある遺跡の見て回ることだった。ヂュラーロンゴーン大学文学部の正門前にまだ太陽が昇っていない午前6時に集合した。現地では肌を焦がすような強烈な日差しのもと、日陰になっている部分を探しては、遺跡の名称、年代、建築様式、影響を受けた周辺の文明、歴史的な背景などについてノートに書き連ねていった。