サムイ島2日目

午前9時半、サムイ島のチャウェーング海岸にあるホテル Seacape Beach Resort の食堂で、朝食のビュッフェがあまりにも不味かったため、心底ウンザリとした気分になっていた。目前に広がっているタイ湾側のビーチは、日本の海と比べれば全然キレイだが、きのうまでいたアンダーマン海側に面しているビーチリゾート「プーゲット」と比べてあまりにも劣っていた。

サムイ島1日目

午後7時10分、タイで3番目に大きい島、サムイ島のチャウェーング海岸沿いの通りには、メータータクシーが頻繁に行き交っていた。西洋料理店の白人オーナーが、道行く観光客たちに「まあ、これを食べてみてくれ」と手当たり次第に声を掛けている。メインとなっている通りが狭いため、タイ国内にあるほかのリゾート地より寂れているイメージだが、それでもいちおう観光地らしい陽気さはある。

ピーピー島

アンダーマン海のエメラルドグリーンとマリンブルーが織りなすグラデーションがとてもキレイだった。シュノーケリングをしてみると、ゴーグルに付いている手垢が気になるほど、海のなかの様子が鮮明に見えた。これだけ透明度が高ければ、海水のベタベタを忘れて思いっきり楽しめる。

タックスィン資本のホテル

午後4時半、プーゲット県のパートーング海岸にあるホテル「プーゲットクレースランド」から、窓の外に広がる青い海を眺めながら友人は言った。このセリフを、首相の友人たちが喜びそうな中国語ばかりで溢れかえっている宮殿のようなホテルで聞くと、亡国の行く末を案じながらも手の講じようがない一般市民の歯痒さを感じ取ることができる。

プーゲットの物価

パートーング海岸は2004年12月26日、スマトラ沖大地震とそれにともなうインド洋大津波によって壊滅的な被害を受けた。県内にあるホテルは、観光客を呼び戻すために、どこも赤字必至のバカ安な料金でプロモーション活動をおこなっていたが、その後、復興作業が急ピッチで進められ、いまでは以前の賑わいを完全に取り戻している。宿泊料金の相場も被災前より高くなっている。

マレーシア国境

ハートヤイは、マレーシア国境「パーダングベーサー」の北51キロの地点にあり、マレーシア人に人気の歓楽街として知られている。マレーシア国内に住んでいるマレー系(65%)は、法律によって生まれながらにしてイスラーム教徒であると定められており、酒を飲んだり豚肉を食べたりすると宗教警察に逮捕されることがあるため、週末になるとこうしてハメを外しにクルマで大挙して押し寄せてくるという。

南部国境へは行かない

午前零時半、タイ国道41号チュンポーン・パッタルング線の始点があるチュンポーンで、「このままマレーシアの首都があるクアラルンプールまで運転して行っちゃおうか?」と思いつきで提案したところ、友人が拒否反応を全開にして言った。現在、タイでは、南部国境3県へ行くことは、自殺行為と同義であると考えられている。

タイの進学校

日本ほどではないが、タイにも熾烈な受験戦争はある。予備校は主に進学校が多い地域に密集しており、日本の高校生とは似ても似つかない、幼稚園生のスモックのような中等教育学校の制服を着ている生徒たちが、午後9時頃までの時間をそこで過ごす。

クルマの整備

これまでも、立体駐車場などの勾配が急な坂道ではブレーキの効きの悪さが気になっており、クルマを修理に出すたびにブレーキパッドの検査を依頼してきた。ちゃんとチェックしてくれていたんだろうか。友人によると、ブレーキバッドは、通常の厚さが10mm前後あって、3mm以下になったら交換する必要があるという。

病院は最後の手段

午後10時5分、スーンウィヂャイ1街路にあるグルングテープ病院で、友人が診療報酬明細書を見て言った。内訳は、▽診察料400バーツ、▽看護婦料150バーツ、▽処方薬代金2,570バーツの合計3,120バーツだった。海外旅行傷害保険のキャッシュレス・メディカルサービスを利用した。処方薬の代金はおおむね市価の5倍ぐらいだったが、診察料はスクンウィット3街路にあるバムルングラート病院の3分の1程度と良心的だった。

中国系タイ人なんて大嫌い

午後9時、チャイナタウンの愛称で親しまれているバンコクの中華街「ヤオワラート通り」で渋滞にハマっていたところ、友人はプラモングットグラーオ王の英語論文にある「東洋のユダヤ人」さながらの華人批判を始めた。中国系のタイ人が何かと持て囃されがちなこのタイで、中国系以外のタイ人は複雑なジレンマを抱えながら生活をしている。

タイで事務職の適性がない労働力を雇い入れる

この友人は、日本国内で働いている同年代の日本人 OL たちより良い給料をもらっているため、自分の月給の一部を使って個人的な事務員を雇い入れて仕事の一部を任せている。巨大掲示板群「パンティップドットコム」に求人を掲載して、中等教育学校2年までの教育を受けた地方出身の女性(18歳)を、タイの労働市場における相場より若干高い月給7,000バーツで雇い入れていたという。